「世界史をもう一度」の管理人big5が、歴史に関連する日々の雑感を書いています。
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歴史事件としては第一次朝鮮出兵「文禄の役」ですが、話の主体は「やつしくらべ(仮装大会)」でした。
「やつしくらべ」の実施自体は事実ですが、昌幸と秀吉が同じ演目でかぶってしまうところなどは、三谷氏の完全オリジナル脚本でしたね。でも、だからこそ見ていて面白い内容でした。
これに似たような話って、現代の会社でも似たようなことが起こっていると思うんですよ。
1.権力者(社長など)が、宴会をしようと言い出す。(誰も断れない)
2.さらに、隠し芸大会をしようと言い出す。(誰も止められない)
3.そして、自分までもが芸を披露する(絶対に賞賛しなければならない)
4.挙句の果てに、隠し芸の順位発表を行い、自分が優勝する。(ほとんど自画自賛)
最初の発案自体は、決して悪いものではない、と思います。沈んだ空気を払しょくするために、何かイベントを行うというのは、基本的な対策といえるでしょう。でも、それが部下たちにかえって負担になってしまう理由は
1.権力者が絶対的な力を持っているので、Noと言えない。
2.権力者自身も楽しもうと思っている。→だから自分も芸をする
3.それを気遣った部下が、芸の上手下手にかかわらず優勝させる→部下たちはしらける
というところでしょうか。
千利休、切腹させられてしまいましたね。。
前回の小田原城の倉庫で見つかった鉛の塊の刻印は、千利休のモノだったのですね。千利休が敵方にも軍需物資を売っていた、という話はいかにもありそうなことだと思います。
千利休がなぜ切腹させられたのか、実ははっきりした理由はわかっておらず、様々な仮説があります。『真田丸』では、石田三成と大谷吉継が、堺商人らの代表格である利休の台頭を恐れ、蟄居だけだったはずの処分を自分たちで勝手に変更し、切腹に追い込んだ、という話でした。利休像の大徳寺山門設置は、それのきっかけだった、という話でしたね。
ただ、私の個人的な疑問なのですが、なぜ「切腹」なのでしょうか?
「切腹」は基本的に武士にしかできなかったのに、商人(茶人)である千利休が「切腹」を命じられるのは、なんだか不思議な気がしますね。
そして最後の場面、とてもいい演出でしたね。私も涙が出てきました。
亡くなった鶴松自身はまだ幼児なので、彼自身に対する感情移入はまったくありません。それだけで終われば、涙が出てくることはなかったでしょう。
それを感動的な場面に変えたのは、寧が茶々を抱きしめるシーンでした。この描き方は、やはり脚本家の三谷氏の力だと思います。