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歴史雑感

「世界史をもう一度」の管理人big5が、歴史に関連する日々の雑感を書いています。

真田丸 第21&22回「戦端」「裁定」

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真田丸 第21&22回「戦端」「裁定」

こんばんは、big5です。

今回は2回続けて沼田城領有問題を議論する回でしたので、感想もまとめて。

物語は、北条氏政の上洛に関する話。上洛しようとしない氏政が、上洛するにあたって出した条件が、真田が領有している沼田城を、北条に引き渡すこと、でした。

三成らは、北条と戦になることを恐れ、真田に折れるように依頼しますが、真田家にとっても沼田城は大事な城。そう簡単に引き渡すわけにはいきません。そこで、北条家を代表して板部岡江雪斎、真田家を代表して信繁、徳川家を代表して本田正信が、秀吉の前で沼田城領有の裁判を行うことになります。

さすがに三谷氏の脚本だけあって、現代人にもなじみやすい裁定の進め方だったと思います。マヌケキャラ役の片桐且元も、いい味を出していました。個人的には、沼田城が上杉方と北条方に分かれたくだりをもっと聞きたかったのですが、せっかちな秀吉に阻まれてしまいましたね。残念。

一連の話を見ていて、不思議に思ったのは
「三成らが北条征伐を避けたい理由は何なのか?」
ということです。

そもそも秀吉から見れば、全国統一はなるべく早めに成し遂げたい事業だったはずです。待望の跡継ぎが生まれ、その気持ちはなおさら強くなったことでしょう。自分が死ぬ時、「捨」にスムーズに天下を継承させるためには、早いとこ天下平定を成し遂げて、豊臣体制を整えることが何よりも優先されることではなかったのでしょうか。
北条を臣従させるか、滅ぼすかで議論している間にも、時はどんどん過ぎていってしまうわけです。天下平定が完了する前に、もし秀吉が亡くなったとしたら、おそらく幼い「捨」の後見人争いで再び天下は戦国乱世へ逆戻りするかもしれません。なので、三成らにとっても、北条の問題は早めにケリをつけるべきだったのではないか、と思いました。

脚本的には、真田が天下のために我慢する、という話にしたかったのかもしれませんが、このあたりの描き方は、個人的にはいまいちだったと思います。

次回は、いよいよ北条征伐。楽しみです。
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