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歴史雑感

「世界史をもう一度」の管理人big5が、歴史に関連する日々の雑感を書いています。

真田丸 第20回 「前兆」

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真田丸 第20回 「前兆」

こんばんは、big5です。

真田丸もついに第20回まで来ました。

今回は、秀吉の狂気の第一段階ということで、聚楽第落首事件が描かれました。

見ていて気付いたんですが、三谷氏って昔流行った刑事推理ドラマ「古畑任三郎」の脚本も書いていたんですね。現場に残されたモノから、犯人像を限定していき、犯行時間も絞り込みをしていくところなんか、古畑任三郎を連想しました。

それにしても秀吉、晩年は本当に恐ろしい行為が多いです。事件の恐ろしさは、同じように恐れられていた織田信長を超えていると思います。特に、戦時ではない平時において、関係性の薄い人たちまで大量に連座で残虐に処刑するところが、秀吉の残虐性を際立たせていると思います。

ドラマでは、落首事件の被害者は門番ら17人で済んでいますが、調べたところによると、お公家さんの日記などの記録によると、犯人を目された尾藤道休の妻子を含む、近隣住民ら66人を六条河原で磔にしているそうです。

ドラマ内で信繁、三成、吉継らが憤ってた通り、落首程度で80人近くが殺されるなどという事態は、完全に暴走している独裁体制だった、と言えるでしょう。豊臣家が、その後滅んでしまった理由はいろいろあると思いますが、理由の一つは、秀吉の晩年の乱心が、民心の支持を失ってしまったことにあるのではないか、と思いました。

さて、撮りためている分もあと2回分。がんばって時間作って見ます。
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