こんばんは、big5です。
タイトルの通り、慎重に慎重を重ねていた昌幸も、ついに上洛しました。
そして、無下に扱われました。
見解に現れた秀次の
「で、オレ何すればいいの?三成、後はよろしく~」
という適当な対応が、上手かったと思います。
正装して、かしこまった相手の神経を逆なでする、あの信幸も激昂するのも無理もない、不遜な態度でした。
でも、秀吉の視点から見れば、真田家の勢力なんてそんなものだったのではないか、と思います。普通に考えたら、味方につけるならどう見たって真田よりも徳川です。真田を支援している上杉も、昔日の勢いはありません。大名でもない真田に対しては、秀吉自ら現れるまでもなく、秀次に対応させて十分な相手だった、のではないかと思います。
ただ、ドラマは真田が主役なので、その後信繁がなんとか秀吉を説得して、直々の謁見を認めていますが、実際のところはどうだったのかな?と思いました。
そして、優しいようで優しくない秀吉、最後にやっぱり用意してくれました。
「真田は徳川の与力(よりき)となるように。」
「与力」というと、江戸時代の町奉行の役職の一つにも「与力」がありますが、この時代の「与力」は町奉行の役職ではありません。ちょっとした上司と部下の「部下」の方、あるいは先輩と後輩の「後輩」みたいな位置づけで、真田は徳川の指導を受けて動くように、という意味合いになります。
これも、秀吉の上手い作戦と言えるでしょう。真田を守るだけでは、肝心の徳川が不満を持つのは明らかです。徳川が不満を持たないように、真田を活かすには、真田を徳川に服属させる(に近い)状態にすれば、徳川の不満も抑え込める、というわけです。
ドラマでも大笑いしていた家康でしたが、まさにそんな気分だったと思います。単純に満足したわけではありません。仇敵だった真田を自分の風下に置いたことは、確かにうれしかったかもしれませんが、それを成し遂げたのは自分の実力ではなく、秀吉の力だった、という何とも言えない微妙な無力感を味わっている感じがしました。
戦国の世はやっぱり厳しいですね。