真田昌幸の策略が光った第8回「調略」は、かなり面白かったです!
録画していたのを、2回半見てしまいました。
信濃に侵入する北条と上杉の2大勢力が争う中で、国衆を巧みに利用し
両方とも信濃から兵を引かせる、という離れ業を見せた昌幸は、まさに「智謀の将」という
異名がふさわしい作戦でした。
春日信達を本当に北条に寝返らせながらも、実はそれは真の目的ではない、という
2段構えの調略は、そう簡単に考えられるものではない、と思います。
そして、この調略を見事に成功させた弟・信尹も素晴らしい機転だったと言えます。
信尹がいなければ、昌幸の策も不発に終わったことでしょう。
やはり、昌幸だけの個人プレーではなく、周囲のサポートあってこその昌幸の智謀、なんだと思います。
ちなみに、この話がどこまで本当なのかをちょっと調べてみました。
NHKの真田丸に関する歴史講座によると、
ほぼ記録に基づいた内容を、真田昌幸がめぐらした計略として脚色
とのこと。
概略は、以下のとおり。
1.春日信達が上杉から北条に寝返った
↓
2.北条氏直がそれを受け入れ、戦後の報酬として海津城を与える証文を書いた
↓
3.ところが、その証文が上杉の知るところとなり、春日信達が処刑された
↓
4.北条氏直は迷った結果、上杉との勝負は避けて、甲斐に侵入した徳川軍迎撃に向かった
↓
5.上杉軍も、新発田重家の反乱鎮圧のために信濃から撤退した
この記録に、「すべて昌幸の策略だった」という脚色を加えて、今回の話が作られたんですね。
歴史って面白いな~、と改めて感じました。
次回も楽しみです!
NHKによる、真田丸関連歴史講座はこちら
http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/special/history/history13.html#mainContents