「世界史をもう一度」の管理人big5が、歴史に関連する日々の雑感を書いています。
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たいへんご無沙汰しております。管理人のbig5です。
前回の更新からすっかり時間が経ってしまいました。更新を楽しみにしていらした方々にはたいへん申し訳ありません。
さらに申し訳ないのですが、「世界史をもう一度」のコンテンツ更新は
もう少しだけお待ち下さい m(_ _)m
4月になり、新しい年度になったことで、私の生活環境も大きく変化しました。
今はまだ、その変化に対応することに時間を使っておりまして、「世界史をもう一度」の更新に時間を使うことが難しい状態が続いております。
ですが、1か月半が経過して、変化にもだいぶ慣れてきました。そろそろ、更新を再開したいと思っています。
さて、今回は大河ドラマ「真田丸」の第12回「人質」の感想を。
(ちなみに、これを見たのは1か月くらい前なのですが、感想をブログに載せることも、後回しにしてしまっていました。ゴメンナサイ。)
題名のとおり、主役・信繁が人質として上杉景勝のもとへ出される、というは話でしたが、その内容は単なる「人質」ではありませんでしたね。むしろ「客分」といった方が正しいような内容でした。
理想を持ちながらも、実力と余裕がないことで悩む上杉景勝。そこに、知恵を使って事態の解決を図ろうとする信繁。2人の間には、「大名」と「客分」(正しくは「人質」)という関係を、はるかに超えた絆を感じさせる回でした。
この辺の話は、おそらく作者・三谷氏の創作なのではないかと思います。ただ、内容はかなり良くできている、と言えるでしょう。
まず、信繁はこれまでの父・昌幸のやり方を見ていて、大きな疑問を感じている状態でした。そこに、上杉景勝という昌幸とは対照的な人物です。養父・上杉謙信の気概を受け継いでいる景勝の行動は、信繁に清々しさを感じさせるのに十分な存在だったと言えるでしょう。なので、景勝と信繁が親しくなるのは、物語の中では自然な流れになります。そして、景勝の側にいたことが、その後の信繁の生き方に大きな影響を与えることになるわけですね。
今後の展開が楽しみです。(早く録画している分を見たい!)
ちなみに、今回初めて「鉄火起請」のことを知りました。こんな決着のつけ方があったんですね。現代日本でこんなやり方をしていたら
「時代遅れも甚だしい」
「法的根拠が皆無」
「勝った方に正当性があると言えるのか」
と、様々な方面から批判されることは必至の内容ですが、そこは戦国時代。現代のような道理・常識が通るわけがありません。ちょっと調べてみたところ、鉄火起請自体は実在したようですが、これを信繁と景勝のエピソードに取り入れたのは三谷氏の創作のようです。創作であっても、戦国時代の価値観・ものの考え方を示す、いい演出だったのではないかと思います。
「こんなバカげた我慢大会、何の意味があるんだろう?戦国時代に生まれなくてよかった」
と思った人も多かったのではないでしょうか。私もそう思います。
ただ、考えようによっては、このようなバカげた方法も、ある意味では効率的な方法だったのかもしれません。それは
「犠牲者が絶対少ない方法」
だからです。物語でもこんなかんじのセリフがありました。
漁民「このままでは村同士の争いになって、何人もの人が死んだり傷つくことになります」
前回でも、室賀の農民が真田領の山で薪を奪って争いになっていたりしていましたが、戦国時代くらいまでは、日本各地でこのような揉め事・武力衝突は日常茶飯事で起きていたそうです。現代のように、争い事を裁く裁判所も法律もなかったので、揉め事の最終的な決着方法は「闘争」さらには「戦争」でした。
「真田丸」の場合、信繁と景勝の機転が無かったら、双方の漁民が竹槍や斧や刀を持ち出した「小さい戦」に発展し、何人も死者や負傷者を出したうえで、勝利した方が漁業権を得る、という結果になったことでしょう。
それに比べれば、バカげた方法「鉄火起請」は、被害者が2人だけでいいんです。
そういう意味では、生贄に近い要素もありますね。
なので、おそらく戦国時代に生きた人たちも、一部の人は「こんな方法バカげている」と思ったのではないかと思います。でも、考えれば考えるほど「この方法で決着をつけた方が犠牲者が少ない」という考えにもなったのではないでしょうか。誰もが、信繁や景勝のような機転を利かせられるわけではありませんし、どうがんばっても解決できない問題もあったことでしょう。
そんなことを考えさせられた回でした。
真田丸、やっぱり面白いですよ!