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歴史雑感

「世界史をもう一度」の管理人big5が、歴史に関連する日々の雑感を書いています。

真田丸 第11回「祝言」

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真田丸 第11回「祝言」

1週間遅れになってしまいましたが、真田丸第11回「祝言」を先ほど見ました。

ついに、室賀正武が亡くなってしまいました。正直なところ、室賀はそのうち昌幸に殺される役だとは予想していましたが、「真田丸」では、家康から昌幸暗殺を焚き付けられ、暗殺に失敗して返り討ちに遭うという、大名に翻弄される国人衆の一例のような悲しい最期だったと思います。

祝言の席を、調略の舞台にされた信繁の気持ちは、なんとも微妙なところで、話の本筋はそこにありますが、ここでは室賀正武について考えてみたいと思います。

まず、室賀正武は真田真幸の幼馴染、という設定でした。となると、歳は昌幸と同じで30代半ばということになります。(役者の年齢を考えると、幼馴染には見えないかもしれませんが)知恵者の昌幸に比べれば、囲碁で一度も勝てなかったりと、いろいろな意味で引け目・劣等感を感じていることは、これまでの昌幸との関わりからも明らかでした。そんな室賀正武が、家康に焚き付けられて昌幸暗殺を謀る、というのは戦国時代ならうなずける話だと思います。
ただ、室賀正武の苦悩をもう少し時間を割いて描いた方が良かったのではないか、と思います。なぜかというと、家康から送られた刺客はあっさりと討ち取られ、昌幸にも暗殺計画を見抜かれ、この時点で室賀正武の計画は完全に詰んでいました。仮に、室賀正武自身で昌幸を暗殺することに成功したとしても、上田城から逃げ切ることは到底不可能です。そうなれば、昌幸が「家臣になれば許す」といったように、この時点で昌幸に降伏する、という道もあったのではないかと思います。

話の本筋が信繁にある以上、祝言の席すらも調略に利用する父・昌幸に対する複雑な思いを描くためには、室賀正武にここで死んでもらう、というのは理解できます。ただ、それだけでは、室賀正武が降伏ではなく死を選んだ理由が、いまひとつ説得力に欠けているわけです。家康から昌幸暗殺の成功報酬として小県のすべてを室賀領とすることを認める、というような室賀の劣等感を覆すようなエサを見せられたことは、暗殺計画をたくらむ一因ではありますが、失敗したときに死を選ぶ理由にはなりません。

例えば、室賀正武は家康に何かしらの弱みを握られており、昌幸に降伏して命を長らえたとしても、家康から報復を受けてしまう、とか、昌幸に対して、劣等感よりももっと大きな敵対心を煽るような事件を伏線として描いておくとか、その辺をもう少し強調して描けば、国人衆が生き抜く難しさを表現できたのではないか、と思います。


[その他ポイント]
・新築上田城
板張りで囲炉裏を囲むという、いかにも地方領主というかんじの真田の館から、畳敷きの広間を持つ戦国大名のような城、という変化の大きさが見てとれました。この辺の演出はしっかりしていると思います。
それにしても、徳川が築いた城で徳川軍が2度も撃退されるとは、なんとも皮肉な話です。
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